今年は、ここ10年で1番か2番の大雪だそうです。
だとすると、ぶうこが経験していないほどの大雪かもしれません。
去年は、これに比べると小雪でした。
1年前の今ごろは、ぶうこの具合が、どんどん変化していました。
河津桜を見たくて、年末に泊まった宿に予約をしたのですが
キャンセルしたのは、ちょうど今頃でした。
その後、やっぱりキャンセルしなくてもよかったのでは・・・と
思った日もありましたが、やっぱり正解だったと思ったり。
ぶうこに、2月9日を越えてほしいと思いながら
3月9日は無理だから、繰り上げ誕生日しよう、と思ったり。
でも、3月になると、変化がなくなってきて
なんとなく、このまま、ずっといける気がしていました。
3月9日の誕生日に、ひなちゃんとろばぴょんさんが
我が家へ遊びに来てくれて
「つまさんち、しばらく旅行してないよね。」
という話題になって
夜、ダンナ隊員と
「ぶうこがなくなったら、旅行すればいいね。」
などと、二人で言いました。
それを、ぶうこが聞いていたのではないか
と、何度も本気で思いました。
そして、冬になったら、雪が降ったら
私は、また、きっと深く後悔する、と思っていたことがありました。
ぶうこの最後の散歩は、3月10日の夕方でした。
このころは、ダンナ隊員も、夜の散歩に参加する日が増えましたが
夜の散歩、基本は私の当番です。
この日は、私の休日だったので、動物病院で爪切りしてもらい
(体調がよいと思っていたのです)
早めの時間に、夕方散歩に出ました。
3月だというのに、歩き始めたら、雪まじりのみぞれになりました。
そのころの散歩は、よろよろと、同じ場所をしばらく歩いて
用を足したら、おしまい、という感じでした。
ところが、その日のぶうこが、みぞれが降ってもお構いなしに
家の近くだけでなく、もっと行きたがりました。
病気になったばかりのころは、ぶうこが「もう帰る」と主張したら
そこで散歩をやめていたのですが
このころのぶうこは、自分で考えることは、できなくなっていました。
なので、心臓の負担にならないように、散歩は短くしていました。
みぞれが、雪になっていました。
まさか雪になるとは思わずに出てきたので
私は、さっさと散歩を切り上げて戻りました。
いつものぶうこにしたら、十分な散歩だと思ったのです。
せめて我が家の周り、隣近所10軒を一周すればよかった。
ぶうこは、あんなに行きたがっていたのに。
私は、ぶうこに、してやれなかった。
最期の朝、私をじっと見つめていたぶうこに、触れもしないで出勤したように。
また冬が来て、また雪が降ったら
私は、ぶうたと散歩しながら、泣くのだろう。
それが私には、怖かったのです。
この冬、初めて雪が降った日。
私は泣きました。
あれから、もうすぐ1年が過ぎようとしていることに。
ぶうこが、過去になってゆこうとしていることに。
ぶうこを失いたくない。
ぶうこを過去にしたくない。
ぶうこと生きたときと、一緒にいたい。
時が過ぎてゆくことが、耐えられなったのです。
過去にもどれないのはわかっています。
冬にならないでほしい。
春よ、来ないでほしい。
ところが、雪は、どんどん降り、とんでもなく積もりました。
そして、ぶうたと歩く、雪道の散歩は
雪を食べ続け、突然走りだし、すぐに帰りたいと訴える
私の想像を絶する散歩でした。
雪が激しく降って、前がよく見えないのに
ぶうたが右往左往。引っ張りながら、車をよけるという
涙もへったくれもない、雪の散歩なのでした。
もしかしたら、ぶうたの中に、ぶうこが入っているのでは?
ぶうたの目を見て、そう思うことがあります。
それは、ぶうたの行動が、私の想像を超えるているからです。
ぶうこが、ぶうたに、させているような気がするからです。
ぶうこが、けしてしなかったような行動。
もしかしたら、ぶうこも、したかったのかもしれない行動。
ぶうこと、そっくりな行動。
当然という顔をして、私の腹の上で寝ているぶうた。
ぶうこも、こんなことしたかったのかもしれない。
(ぶうこは、寄りそうと離れていったけれど)
ぶうことできなかったことを、ぶうたが、やってくれています。
そのかわり、ぶうことできたことで、ぶうたとは、できないことも、いろいろあります。
でも、それが、ぶうこの指令のような気がするのです。
ぶうたの中に、ぶうこもいる。
そんな不思議な感じがする、このごろです。
もちろん、ぶうたと、ぶうこは違うのに、不思議です