ぶうこのできごとを、コラムでつづります
2004年10月23日。1階の部屋でpcをしていたら、中越地震が起きました。倒れかかった本棚を、とっさに押さえ、呆然としていた私。本はみんな落ちました。ぶうこの姿がありません。2階から降りてきたダンナさんの声で、正気を取り戻し、玄関にゆくと、ぶうこがいました。震える手で、ぶうこにリードをつけ外へ出ると、ご近所の皆さんも皆出ていました。真っ赤な夕焼け。ごーっという地鳴りがして、地面が、ぐらぐらと揺れました。思わず地面にひざをつくと、電線と電柱がゆさゆさと揺れていました。何かが空に光りました。ぶうこが、すごい力で、どこかへ逃げようとします。リードを、必死で握りしめました。ぶうこの口は、恐怖ではぁはぁと開いたままでした。
その日は、家にいるのが怖くて、小学校に行きました。
停電しているコンビニは、行列ができていましたが、食料品は既にありません。
夜になっても余震は続き、避難所にどんどん人が集まりました。ぶうこもいるので、車の中で寝ました。夜中も揺れて目が覚め、寒くて目がさめ、エンジンを時々つけました。夜明けがこれほど待ち遠しい夜は、初めてでした。朝、救援物資のおにぎり1個(またはパン1個)と、水ペットボトルを1本もらえました。
幸い、電気は通じていたので、翌日から、自宅の1階を片付けて寝ました。2階の台所は、食器棚が倒れて、食器の破片が散乱していました。それを片付けていたら、また余震。怖くて、2階にいられません。2階にいくと、船酔いのように、腰が浮いて体がふらふらしてくるのです。それから1週間、pc部屋で、食事、寝起きをしました。(遠方から保存のきくおいしいものも送っていただき、実は、体重増えました。)常にテレビをつけて、「今のは、震度いくつ?」と、のぞきこんでいました。
余震は、本当にしつこかったです。
私たちは、揺れてもいないのに、「今、地震こなかった?」と、お互いに確かめていました。家の前で、車のドアを閉める音まで、地震の音に聞こえました。それは、人間だけではありません。「あ、地震!」と、叫んで腰をあげると、ぶうこも、立ち上がり、部屋の外へダッシュします。ぶうこは、敏感だから・・・と、最初は思っていました。しかし、揺れてないのに、ぶうこは逃げ出していたのです。私たちのおびえる姿が、ぶうこを怖がらせていたのでした。
それからは、できるだけ、あわてないふりをするように心がけました。少しくらい揺れても、立ち上がらない。多少の揺れは、気づかないふりをする。外に逃げるときは、そっと移動する。ぶうこの前では、「地震」という言葉を口にしない。もともと、ぶうこは、ビビリ症で、雷も花火も、風の音も怖がっていました。この地震以来、ますます、エスカレートしました。ぶうこは、今まで見たことのない行動をとるようになって行きました。
今まで、イスに乗ったことがなかったのに、pc部屋のイスに乗りました。今では指定席です。
そのうえ、机の上にも乗り、キーボードも占領してました。
地震があると、pcラックの奥にまで入るようになりました。
窓に突撃して、ブラインドの羽を折りました。
押入れにも、すかさず入っていました。
そして、ぶるぶる震えがとまりません。
口はあいたまま、目はうつろ。
笑っているように見えます。
階段でひとり居るときもありました。
余震は毎日続き、ヘリコプターの音も、ぶうこをびびらせました。ヘリは、ニュースの時間になると、たくさんやってきました。地震と間違うこともありました。翌週は、震度4、震度3が3日に1度くらいになりました。仕事が再開すると、明け方3時、4時に、小さな地震が続きました。このころが、一番、疲れていたかもしれません。
揺れなければ、我家は普通の日々でした。
地震の度に、ぶうこは、おびえて部屋を駆け回り、窓に向かいました。
ぶうこがあまりにおびえるので、一時は、ぶうこだけでも、どこかへ疎開させそうかと真剣に思いました。でも、ぶうこの寝ている姿を見ていると、やはり、ぶうこと離れる決断はできませんでした。
3ヶ月がすぎ、大雪になると、地震はなりをひそめました。ぶうこが、落ち着くようにと、いただいたフラワーレメディを使い切ったのも、そのころでした。
以来、机の下で、pcの裏に鼻をつっこむことが、ぶうこのマイブームになりました。地震がなくても、入りたがって困ります。pc部屋で地震にあうことが多かったせいか、しばらく、ぶうこは、この部屋を嫌いました。入り口で、のぞいているものの、中に入らないことが何度かありました。
我家のガスが復旧したのは、地震から1週間後でした。作業を担当したのは、京葉ガスの方でした。被災地周辺は、静岡や、兵庫、神戸、青森、埼玉、東京、福島などのナンバーの警察、救急車、電気工事、ガス会社、給水車、ごみ回収車、自衛隊の車が、走り回っていました。思わず頭を下げました。また、新潟ネットワークにも、義捐金をお寄せいただき、本当にありがとうございました。
(2005年3月)